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​カンボジア現地スタッフ

主宰・美術教師 笠原知子

栃木県生まれ。東京教育大学及び同大学大学院(現筑波大学)芸術学科・彫塑専攻卒業。元東京都立高等学校美術教諭。2007年カンボジアに渡り、スクール開始。2008年12月より「小さな美術スクール」を主宰する。

 

日本語通訳  チウ ヒーア 

ベンメリア出身。 9人兄弟の5番目として育つ。 6歳の時に、父に地元の寺に預けられ、そ こでお坊さんのお世話をしながら生活するようになる。母を7歳で亡くす。 地元のお寺から シェムリアップのお寺に移って生活していたとき、寺で出会ったカンボジア人が、日本語の歌 を歌っているのを聞く。 どこで習ったかを尋ねてみると、日本人が運営している孤児院で生 活をしていて、そこで習ったと答えた。 興味を持った彼は、13歳の時、寺を出て、単独で孤 児院に入れないかと懇願した。 幸いその孤児院に受けいられて、孤児院の子ども達との生 活を始めた。 そこで働く日本人教師により、日本語を必死に勉強し始めた。 消灯時間が来 ても、月の光で勉強していたこともあった。

孤児院での生活は楽ではなかったが、唯一の楽しみは、1週間に1回、テレビを見せてもらえることと、畑仕事中にラジオを聞 くことだった。 ラジオの電池が切れ、音が出なくなると、乾電池を口で噛んで、少しでも電池を使えるようにしていたことも あった。 17歳の時に、プノンペンで行われる日本語スピーチコンテストに出場する。 必死の練習のおかげで、見事優勝した。

21歳(高校2年)の時に、笠原が孤児院で絵を教え始めるが、彼は美術の授業には参加していなかった。 当時は、絵に興味 を持っていなかったので、子ども達が絵の授業をしているときは、畑仕事などの手伝いをしていた。 笠原にも軽く挨拶をす る程度だった。

2008年になり、小さな美術スクールの建築完成を待っている間、笠原が孤児院に誰か通訳として、美術学校の授業のお手 伝いをしてくれくれる人はいないかと孤児院運営者に頼んだ時、ヒーアを紹介された。 彼は、高校卒業後に、村に住んでい た一番下の妹(当時15歳)をシェムリアプに呼ん、孤児院の指導員としての仕事をしながら、孤児院を出てアパート暮らしを し始めたばかりだった。

学校の建築が終了する直前に、学校内の住居スペースに妹と引っ越し、孤児院の指導者兼小さな美術スクールの通訳として の仕事を始めた。 朝7時に孤児院に出勤し、お昼時間学校に戻り、美術授業の通訳、午後5時の孤児院の仕事を終えてか ら、学校で日本語を教えていた。 ある時、笠原の援助で大学に行かないかと言われ、地元の夜間大学に通うようになる。

学校の生徒数も増えていくにつれ、孤児院と学校の両立、大学通学は体力的にも難しくなり、2012年に孤児院を辞め、学 校でフルタイムで働くようになる。 美術授業の通訳は、専門用語も多いため難しいが、子ども達を楽しませながら、笠原の 通訳として働いているうちに、自分も絵を描きたくなってくる。 最初のきっかけは、KDDIのチャリティーコンサートポスター を描いた。 以来、家族、仲間、平和をテーマにしたオリジナリティー溢れる、見る人を笑顔にする絵を制作している。

 

アートコーディネーター 坂田優子      

千葉県出身。アメリカの大学に留学し、アジア学を専攻する。卒業後、アメリカに住む東南アジア系難民・移民サポートNPOに勤務し、異民族・異世代間の交流プログラムを運営。現在、小さな美術スクール・アートコーディネーターとして制作、広報等を担当。

美術教師 ハイ・チューン    作品はこちら

母子家庭の末っ子として育つ。 子どもの頃から身体が弱かったが、小さい頃 から絵を描くのは好きだった。 高校の頃から、中国画などを模写して、独学 で美術を学ぶようになる。 同級生に絵の才能を認められ、バイクに張るステ ッカーのデザイン、制作を依頼されるようになる。 ステッカー販売で、自分 の学費を稼いでいた。 高校3年のときに、同級生の紹介で小さな美術スクー ルの存在を知る。

家族からは、アンコールワットなどの「売れる絵」を描くことを勧められていたが、美術スクールに通い 始めてからは「、自分が描きたいもの」を追求するようになり、カンボジアのクメール・ルージュ時代をテ ーマにした鉛筆画やアプサラ(天女)、切り絵と水彩を合わせたゾウの絵など、独創的な世界を広げてい く。 外国人にも高く評価され、シェムリアップのホテルでの展示会や制作依頼なども入るようになる。 また、小さな美術スクールでのアシスタントスタッフとして、生徒達の指導にも励んでいる。 カンボジア 武道も習っている。

受賞歴:アーリー・インターナショナル(2011年)・giz デザインコンテスト 2位入賞、メキシコアートコンテスト入選、日本国際切り絵コンテスト入選、KDDI財団チャリティーコンサートポスターデザイン(2013年、2014年)、アンコール国際映画祭ポスターデザイン提供(2014年)

 

 

美術教師 クンティア・リム 作品はこちら

土木業を営む父を持ち、家業を手伝っている。 高校時代は、バスケットが得 意で、学級委員になったりと、クラスメートからの信頼も厚かった。 学生時 代から、美術の腕を磨きたいと思い、美術学校を探していた。 小さな美術ス クールの存在を友人から聞き、彼女たちと授業に参加するようになる。 カン ボジアの文化や宗教、カンボジアの風景などの作品を好んで制作している。

笠原の美術アシスタントとして、ラタナキリでの授業に同行したり、gizのプロジェクトに参加し、村の女 性達に美術指導等もしている。 また、村のNGOからの依頼で、個人的に美術を教えに行ったり、村の 小学校にも毎週教えに行くようになり、美術教師としての教える技術も身につけてきている。 新しいこ とにチャレンジしたい気持ちも強く、抽象画や新しいテーマでの制作にも挑戦中。 今は、地元の大学の 英語集中コースにて、英語の勉強にも励む。 生徒達の良き相談相手、ムードメーカーである。

 

受賞歴:giz デザインコンテスト 複数の部門にて1位、2位入賞、メキシコアートコンテスト入選

美術教師 ソペアック・ドーン  作品はこちら

販売業を営む家業を手伝うため、しばらくは学校に行けなかったが、妹弟が 大きくなって来たので、地元の高校に戻り、無事卒業。女性らしい柔らかい色 で、カンボジアの花や動物を描くのが得意。デッサン力、デザイン力も高く、日 本のデザインコンテストでも入賞した経験がある。

受賞歴:ドリーム・ガールズ・プロジェクト グッド・チャレンジ賞受賞/giz

デザインコンテスト応募、アンコール国際映画祭ポスターデザイン提供 (2014年)

 

 

美術教師 ソーピア・ドーン   作品はこちら

5人兄弟の次女。 友達の紹介で、小さな美術スクールに通い始める。 高い 美術能力があり、作品にはファンタジーや温かさが感じられる。 村の小学校 で毎週美術を教えており、生徒達に慕われている。

作品応募歴:ドリーム・ガールズ・コンテスト/giz デザインコンテスト、KDDI 財団チャリティーコンサートポスターデザイン(2015年)

  

日本支援スタッフ

kokotomo基金代表 小沼直晴

1952年 東京生まれ
元都立高校美術科教員
小さな美術スクールサポートクラブ
kokotomo 基金代表

国外ボランティア

コピーライター アリーナ・ミテヴァ

ロシア出身のアリーナは、国立ロシア美術館など、芸術やマーケティングで働いた経験があり、2013年以来、広報スペシャリスト。彼女は現在、ブルガリアでファッション業界で働いており、彼女の自由な時間でバレエを練習中。 2016年3月に、彼女はシェムリアップを彼女の家族と一緒に訪問し、私たちのボランティアチームに参加して、カンボジアの子どもたちを助ける彼女の自身の方法を見つけることにしました。

Staff

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